金剛寺の歴史
金剛寺について
金剛寺は 愛知県蒲郡市三谷町にある高野山真言宗の寺院です。
山号は三谷弘法山です。
弘法大師(お大師様)を宗祖(しゅうそ)とし、高野山金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗の寺院です。
御本尊は「子安大弘法大師」です。
御本尊を拝むときは「南無子安弘法大師」とお唱えします。
高野山真言宗
真言宗は、仏教の真髄の教えを教義とする密教の宗派で、弘法大師によって日本に伝えられました。
根本の御仏は、宇宙の本体である法身仏「大日如来」です。
大日如来の御真言は「オンアビラウンケン バサラ ダトバン」とお唱えします。
高野山真言宗は、弘法大師の御廟(ごびょう)を信仰の源泉とする宗派です。
イメージ:大日如来坐像、根津美術館蔵
密教(大日如来)のシンボル マニ塔とマニ車
日本で唯一、本場ネパールの職人がネパールの建材で作った
金剛寺のマニ塔
マニ塔とは、密教の大日如来のシンボルを刻んである塔です。
同じ密教であるチベット仏教にも「マニ車」というものがあります。
「マニ車」は経文(スン)の入った筒を時計回りに一回まわすとお経を一回読んだ功徳(くどく)、という非常に便利なものであり、「摩尼輪塔(まにりんとう)」と「マニ車」は大日如来を拝む為の物と考えられています。
本場ネパールの職人達が造り上げた金剛寺のマニ塔は、ネパールにあるタレジュ寺院(1549年建立・カトマンドゥ)に酷似しています。
マニ塔へは、マニ車を回しながら入る事が一般的とされています。
ネパールの寺院は外の壁からマニ車を設置し、やはり回しながら参道に入る事とされています。
マニ塔建設、完成に至るまでの道のり
1)マニ塔への想い
金剛寺住職の東公猛師(あずまこうみょうし)が、とある映像でネパールの手持ちのマニ車を回す老人の姿を目にし、ぜひこのマニ車を日本で、金剛寺で一人でも多くの人に回して頂きたいとの思いから、誘致・建設を行いました。
2)ネパールへ渡航し、現地を視察
マニ塔・マニ車を作成するだけではなく、弘法大師空海が実際にもたらした真言密教の地であるネパールから、出来るだけ本物の現地の材料を用いて作成したいと考え、ネパールへ赴きました。
建築素材も住職自ら自身の目・手で触れた物を選りすぐり、想いのこもったものを取り寄せました。
3)建設
2005年から建設に着手し、約五年の歳月を費やし、2010年に、本場ネパールの職人達によってこのマニ塔を築き上げました。
4)落慶法要
竣工しただけでは、マニ車の功徳が高まりません。
マニ車は、経文(きょうもん)、「スン」を正しく巻いて、高僧に「ラプネ」(「入魂の儀式」)を受けて初めて、使用することができる、とても神聖なものです。
高野山 金剛峰寺 座主(ざす) に法要を行って頂き、さらなる功徳(くどく)を授けて頂き、当寺のマニ塔が完成いたしました。
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【落慶法要の詳細】
1)大弘法像前本堂
大弘法像前本堂へ、高野山 金剛峯寺 座主様を始め高野山の高僧の方々金剛寺住職が集合され、熊谷寺住職より御礼を申し上げました。
2)大弘法像前
大弘法像前にて、高野山 金剛峯寺 座主様を始め高野山の高僧の方々金剛寺住職にて般若心経の読経を行いました。広場には寄進者・稚児行列の方々が集まり多くの方々が、高僧の読経を神聖な面持ちで聞かれていました。
3)稚児行列
大弘法像前にて、読経終了後、座主様を先頭に稚児行列の開始です。
4)マニ塔にて
稚児行列と共に本堂へ移動後に、マニ塔からお札をまきました。
このお札には色々な種類があると共に、このような時にかまかない物ですのでご利益が多いと言われています。
5)本堂
金剛寺住職と高野山 金剛峯寺 座主様との幼少期より数十年を超える時間が経過した中で、今こうして再会出来た事を座主様より法話がございました。
金剛寺住職も今回の落慶法要に対する思いをお話し、感動の一幕もあり、ご来訪頂いた全ての皆様へお見せしたいお時間でした。